【 MY NOTE 】

MY NOTE:つれづれと綴るもの。


富山のB級スポット  2017/08/15(火)
グイドのこと  2017/08/10(木)
ウェンディの出会い  2017/07/29(土)
L'ham de Focとか、Al-Andalus Projectとか  2017/07/23(日)
親を尊敬すること  2017/07/23(日)


富山のB級スポット

結婚して岐阜に越してから毎年、近所で開催される花火大会(すごい至近距離で花火が見られるのです)を観に母が来て、
父の故郷だった富山までドライブして墓参りをするというのが夏の恒例になっています。


夫がB級スポット好きには有名な場所が富山市郊外にあることを思い出し、
今年は少し迂回ルートで墓参りに行くことにしました。

B級スポット好きの夫は超ウキウキ。


「おおざわの石仏の森」という場所と、「ふれあい石像の里」というスポットです。
詳細はもう面倒くさいのでリンク先でどうぞ。
(これも夫が大好きデイリーポータルZ)

http://portal.nifty.com/2010/08/07/a/



石像は うはぁ、なんだこら、ご利益あんのかな、だいぶ生臭そうな羅漢もいるぞと笑えるのですが、
「ふれあい石像の里」になるともう、仏門の人ですらないただの人。

創設者の友人知人ら総勢420人くらいいるというので、うはぁ、やっぱりお金持ちは顔が広いなぁ、
とまずその人付き合いの広さからして圧巻されるのでした。

ご利益どころではない、ただの背広を着たただの人たちの像。

世界中に彫像は溢れていますが、ここまでただの人の像ってないんじゃないかというくらいの平凡さ。
それをこれだけの数をまとめて作ろうというお金持ちのエキセントリックな発想に
終始圧倒されていました。

Date: 2017/08/15(火)


グイドのこと

グイドというキャラクターは昨年まで漫画のストーリーに存在していなかった人物でした。

昨年に日記も書いていたのですが、
「おい大丈夫か」と言いたくなる団体と絡んでいる若い人たちがニュースで散見されたので、
過度にひとつの思想に傾倒する危うさを描いておきたいと思ったのです。

彼を登場させたことによって、またこの漫画の中で表現しなければいけない要素がドカンと増えたのですが、
その点はweb漫画の良いところ、好きなだけページ数が増やせる、ということもあって
まあいいかなと思っています。



漫画の構想を練った段階でグイドがいなかったのも当然のことで、
当時私は彼と同じくらいの齢でした。
自分と似たような年頃のキャラクターを客観的に皮肉的に描くなんてできなかったのです。


けれども今から学生時代の自分を振り返ると、なんてアホな学生だったんだろうと思う。
思い込みが激しく、怠惰で、もっと勉強していればよかったと大人になってずっと後悔するレベルに勉強していなかった。

それでいて聞きかじった社会ニュースに勝手に憤懣をためて、
社会のせいだ、大人が悪い、と親に庇護されている身分で世の中を批判していた。


大学生くらいによくある現象で、大人になるための通過儀礼のようなものなんですよね。
そのうち自分がいかにバカか気がつくのです。

そういう痛い過去の自分が、グイドを描くたびに思い出されて気恥ずかしくなります。


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とはいえグイドという男は危ういキャラクターではありますが、いいやつなんですよ。

ハンサムで、友達のために労を惜しまず、自分よりも他の人全員がよりよくなることを願うような純粋な人間で。

安保闘争から始まる学生運動の活動家たちは、
思想云々は抜きにして、人として見ると純粋な良い人も多かったんだろうなと思います。


先日Gyaoで「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」というドキュメンタリー映画を観たのですが、
色々と勉強になる作品でした。

http://gyao.yahoo.co.jp/p/00908/v14140/


共産主義の活動家たちが、極限状態の中で内ゲバに発展してゆく心理メカニズムが淡々と描写されていて、
人の個性を尊重すること、個人の尊厳を守ることと、
地上の人間全員が完全平等に暮らすことは決して相容れないものなんだということが、
小さなグループ内で起こった事件だけを切り取ってもよくわかるのです。


特にマルクス主義者においては、思想上の揺らぎを認めず、単一の思考に統一しようという傾向にありました。
互いに共通の終着点を目指しているのに、それに至る過程が異なると、
それをただの差異だと受け入れることができずに、自分と異なる意見の者を劣っているとみなしてしまう。

劣っている者には鉄の制裁を加えて考えを修正してやらねばならない。
そうしてリンチや殺人にまで発展してしまうのです。


こうした他者との差異を認めないという、脳内にできた思い込みは
ちょっとしたことで他者を攻撃してしまう不寛容と凶暴性を生んでしまう。

女性が化粧をしていた、指輪をしていた、おしゃれして許せない、なんてしょうもない理由で
女同士の殺し合いにまで発展した歴史上の事実があるのです。

毛沢東の支配時代にも仰天するような些末な理由で私刑が横行していたのを、映画を観ていて思い出しました。


このような事件が日本で実際にあったことを、記憶が薄れている今こそ改めて知らねばならないと思うのです。
(私も生まれていない時代であったし、当時のことがよくわからないので興味がありました)
最近観た映画の中でも最も強烈な印象に残った作品でした。


しかしGyaoでのユーザーレビューが低レベルで書き汚されているのが残念です。
この映画のどこが共産主義礼賛に見えるんだろう? ふしぎです。



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人の個性を尊重すること、個人の尊厳を守ること、という個人主義の大原則は
西洋諸国においては守るべき最優先の事項だと思います。

もちろん日本でも同じです。
日本から個人主義をなくせというと、憲法から改正しなければいけない。
そういうレベルの大切な大原則です。


しかし社会が存続の危機に瀕したとき、
戦争や、更には人の手に余る環境的要因で社会全体の生存が危ぶまれるようになったとき、
個人主義はどこまで生き延びられるのだろうか?

私はたちまち死ぬと思うのです。


そういうIFの世界を漫画の中に作ってあれこれ考えを巡らせるのが楽しいと感じています。


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ところでグイドの彼女役は、勝気でシャキシャキした子がいいだろうと思って
ナラという女の子を描いたのですが、風貌が主人公そっくりですね。(大汗)


描いてて全然気がつかなくて、ふとそっくりやーーん、と気づいたときにはもう時すでに遅し。
人物の描き分けができない自分の下手さが情けない。

ナラという女の子の出番はほとんどないと思うのですが、
次に描くときは一目で女の子だとわかる髪型と服にしよう…



Date: 2017/08/10(木)


ウェンディの出会い

ウェンディに彼氏を作ってあげなければ、と考えていて
ストーリーの進行的に良いタイミングだったので登場させてみることに。


頭の中にぼんやりあった なんとなくこんな感じ〜 なメンズを描き出してみたら、
思った以上に好青年ができて描いてて自分でもキュンとしました。(おいおい)


おおらかで優しそうな人ですね。
おぼこいウェンディを大事にしてくれそうです。


とは言っても今後出番はあるのかな?
ストーリー大筋に関すること以外の先の細かいことは決まっていないのですが、使い捨てにするにはもったいないかなと思いました。


Date: 2017/07/29(土)


L'ham de Focとか、Al-Andalus Projectとか
最近ふと思い出したようにスペインのトラッドバンド、L'ham de Foc(火かき棒の意)の音楽を聴いています。


L'ham de Foc、最初に聴いたときはどれも同じテンションの曲で、
いまいちピンとこなくてしまっていたのですが、
改めて聴いてみるとその凄さがわかったというか…
ネットブログ上にも似たような体験をしたファンの方の記事を見つけて、あーわかるわかる、ふんふんと頷いていました。

あるとき突然開眼するんですよ。
初めに聴いたときは、どれも似たようなスペイントラッド。
けれど自分の体調とか気分がたまたま合致したときに聴くと(音楽鑑賞ってフィジカルの状態がだいぶ影響しますよね)
その奥底から燃えるような、悲しみや切望の叫びに気づいたようで、
たまらなく胸が張り裂けるような思いがしました。


だいたいスペインって熱くて暗いんですよ。
絵画でもそうなんですが、音楽においてもスペインの熱くて暗い感じがよく醸し出されていて、
スペイントラッドにはまりそうです。


L'ham de Foc名義のアルバムは3枚しかないのですが、中でも一番気に入ったのはこれ。

"Angels de Menta " ミントの天使

ミントの天使ってどういうこと!? スペインの民話か何かにあるのかな? と思って調べたけれど特に収穫なし。
アメリカのAngel Mint(そのまんまミントキャンディ)しかひっかかりませんでした。


下手な訳を載せてみたのですが、どうでしょう。この不思議な歌詞。
L'ham de Focはトラッドバンドだけれど、歌詞を古典詩から引用しているのかどうかわからず、
歌詞カードを見ても歌詞の作詞者は誰なのかもわかりませんでした。
もしメンバーの誰かがこの詩を書いたのなら、やっぱりミントの天使って何なの? とまず訊きたい。



L'ham de Foc - Angels de Menta
http://www.youtube.com/watch?v=qEGP-eRJy3U

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Els àngels de menta
esmolant navalles
amb ales, ales.

Esgarrap amb l'ungla
llesques a la taula.
Menta amb fraula

A joc amb rovell i destral
nafres que no curaran.
La mostra del torcamans
i la crosta a les piques.

Els diables ballen
amb corbelles fines.
Tallen, fallen.

El cor com la pedra,
ma de ferro apreta .
sinistra dreta.

A joc amb rovell i destral
nafres que no curaran.
La mostra del torcamans
i el sexe a les piques.


--------------------
(英訳からの重訳)

ミントの天使がナイフを翼で研ぎ澄ます
その翼で、翼で

爪でひっかき 
ミントと苺の柄のテーブルに刻みつける

錆ついた斧のゲーム 傷は癒えることはない
洗面器と流し台のタイルの柄の

悪魔が鋭い三日月鎌を持って踊り 斬る、失敗する
石の心臓を、鉄の手を堅くしめる
不吉な右手を



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ところでL'ham de Focを知ったのは、ヴォーカルのマーラ・アランダが参加している別のグループ、
アル・アンダルース・プロジェクトからでした。

アル・アンダルース・プロジェクトはイスラムの支配下にあった時代のアンダルシアの音楽の復興をイメージしたバンドで、
古典を見事に情熱的に歌い上げていて魅力的です。

"Pandero"とかお気に入り
http://www.youtube.com/watch?v=e3izBUBLDhI

"Gran Dereit" とかも
http://www.youtube.com/watch?v=gJPL_1fhVbk
※これは聖母マリアのカンティーガ集から

他にもいろいろあるので興味のある方はYou Tubeで視聴してみてください。



後世からレコンキスタなる運動の末にイベリア半島はキリスト教徒の手に戻されますが、
イスラム支配時代のスペインは、決して不幸ではなかったらしい。
イスラム教徒もキリスト教徒もユダヤ人も、共存して豊かな文化が栄えた時代であったというのが
昨今の歴史の再評価かなと思います。

アル・アンダルース・プロジェクトの起こりは2007年、実は結構最近のバンド。
そして発起人はドイツ人バンド エスタンピーのヴォーカルだったというから、
彼女が今の時代のために立ち上げたのだという気持ちが推し量られます。


Date: 2017/07/23(日)


親を尊敬すること

阿刀田高先生の本を読んでいて、人の心理的メカニズムとして第三者からの伝聞がその人物の威厳を高めるのだという記述がとても心に残りました。

「俺は偉いんだぞ」と当の本人が主張するよりも、
「あの人は偉いすごい人なんだよ」と他の誰かに言ってもらったほうがその人物の威厳を遥かに高められるのです。


これは人間の最小単位の家庭内でも同じことで、
子供に親を尊敬させたければ、まず母親が父親を「お父さんは偉いのよ」と尊敬させてみせることが大事なのだと。

お父さんは安月給の甲斐性なしで〜 なんて母親が自身の夫を小馬鹿にしているうちは、子供の人を敬う気持ちは育まれないのです。

親を敬う気持ちはやがて他者への敬意を払うことにも変わって子供の社会性が育まれていく。
子供の人格の形成にはまず母親の姿勢が大事なのだと教わりました。

ああ、やっぱり阿刀田先生は優しいなぁ、とその後何年も記憶していた一節です。



私の母はできた人だったので、父を貶すことはほとんど言いませんでした。

子供の頃にはことあるごとに、「お父さんのおかげよ」と母が言っていたのを記憶しています。
実にその通りで、両親は不足なく兄弟を育ててくれて、子が望むだけの教育も与えてくれました。
親の偉大さは実際に自分が大人になってからこそよくわかります。


そりゃまぁ、父は大酒飲みでヘビースモーカーで、あまりお金に頓着しない人ではあったけれど、
母はその不摂生にぐちぐち言いたい気もぐっと堪えて、子供の私に父を敬うよう教えていたように思います。

(まあ私がそこそこの齢になったら「お父さんビール飲みすぎ!!」なんてギャーギャー夫婦喧嘩していましたが)


父が頭の良い優秀な人であったことは、やがて私自身もおのずと察したところです。
母はそういう父の素養の良さを尊敬していたのでしょう。
癌で亡くなって早4年ですが、むしろ今の方が、父がいかに優秀な人だったか思い出話を語っています。



母は「男を敬え」と教育された世代だったのかもしれないけれど、
それは単なる男尊女卑ではなく、人としてその人を敬う気持ちの表れが出ていたのだと思います。


母が自然とやっていたこと、敷いては阿刀田流心理戦法は、今の時代こそ忘れてはいけないものだと
昨今のネット上に飛び交う男女のいさかいを見て思います。


うちの旦那は低収入の低能だ、割り切ってATMだの、
うちの嫁はぐうたらのトドだの、金遣いの荒いヒステリーだの、

あれこれ罵声が飛び交ってて、まあ、気持ちはわかる。わかるぞ、でも醜いですね。


大人の当人同士にとっては婚姻という契約によって結ばれたもともとは他人でしかない二人ですが、
小さな子供にとっては、最も近い、最も血のつながりの濃い父と母。
その二人が互いを貶し合うようでは、その子に人を敬う気持ちも育ちにくいのも想像するに易いです。


幼少期の子供にとって、母親は世界のすべて。
その母親がまずは父親を敬う態度を見せること(言いたいことがあってもまずは堪えて)は、
父親の威厳を保ち本当の意味でのしつけになる。

しかし父親は偉そうにふんぞり返っているだけではよくない。
母親でもある妻に対しての同等の敬意と愛情の態度を見せないといけない。

両親が互いに愛情と尊敬をもっていることを示すことは、
その子のこれから先の長い人生にも多大な影響を及ぼすのです。
大人はいよいよ子供に見せる態度に気をつけねばなりませんね。



さて、前置きが長くなりましたが、阿刀田先生の本を読んで漫画の中に描いておきたいと思ったシーンが
ようやく消化できたのでほっとしています。


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それともう一つ、男女の肉体関係についてちょっと描いておきたいなと思っていました。

女性が安易に男性の要求に屈するのではなく、
都合が悪いときにはきちんと説明して拒否をして、男性もそれを理解して受け入れる、
というのが健全なカップルの姿ではないかなと思います。

要求を断ったら嫌われるんじゃないかなんていう不安や自信のなさはクマイラからは消えていて、
主人公も人として成長してそんな彼女を大切にできるだけの気概が育ってる。
そういう姿を描きたいと思いました。


これがかつての直情的でちょっとどうよ、な性格のままの主人公だったら許さなかっただろうと思います。

誘い方も強引で下手なんですよね。
これがマルセルだったら、もっと余裕を持ったスマートな誘い方をするんですよ。


でもクマイラはそんなダメ男が好きなんですよ。


そんな彼女のエロティックな困り顔を描けて作者は満足です。

Date: 2017/07/23(日)


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