【 MY NOTE 】

MY NOTE:つれづれと綴るもの。


資本主義と個人主義  2018/03/07(水)
Episode 5-3 Part 2 のはじまりです  2018/01/14(日)
新年の目標  2018/01/08(月)
明けましておめでとうございます / おまけ漫画終了しました  2018/01/04(木)
Episode 5-3 Part 1 おまけ漫画 更新しています  2017/12/29(金)


資本主義と個人主義

個人主義の概念は資本主義世界において発展したという自分の考えを裏付けしてくれるような研究者の言葉を探して
こちらの論文を読みました。

http://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/koowa18.pdf


同じ資本主義勢力の中でも
英・米を主体とするアングロサクソン型と、
独・日・北欧に見られるようなライン型があり、
その特徴区分は個人と集団のどちらを優先する考えが強いか、というもの。

アングロサクソン型は短気収益と株主、個人の成功を優先する考えが強く、
個人主義の価値観も色濃い。

一方でライン型は長期的目標を掲げて、個人よりも社会共同体としての企業を優先する傾向にあるとのこと。
企業があるからこそ雇用が生まれ、資本が循環するという考えのもと、
雇用創出の器である企業の体をできるだけ守ろうという意識が強いと言われています。

当然個人主義の意識も英米に比べれば薄く、
特に日本人においては個人よりもコミュニティ意識が強い資本主義型と呼べるでしょう。


この傾向は私有財産制の歴史と遺産相続の伝統に相関関係にあるようで、
私有財産制の概念がいち早く誕生したイギリスにおいて個人主義が特に顕著。

また遺産相続が不平等制だった場合にも個人主義化の傾向が強く、
逆に兄弟間で平等相続だった場合にはコミュニティ意識が強くなる傾向にあるそうです。

イギリスにおいては不平等相続の伝統が長く、
ことお金に関しては自分という個人を強く意識しなければならない土壌があったわけです。

(そういえばイギリス文学って遺産相続に関するものが多いような気がしますね)


アングロサクソン型とライン型、これはどちらが良い・悪いかではなく、
往々にしてそういう傾向があると把握しておくと、
昨今よく議論の焦点に上がる "個人の自由とは" というトピックも
俯瞰しながら冷静に、意見を言い合う人々の立場や考えも類推できると思います。


一般的に資本主義は弱肉強食と例えられてきましたが、
個人主義の価値観の強い英米では特にそれが顕著だと感じています。

持てる人、能力の高い人にはその価値に見合った報酬と栄誉が与えられますが、
一方で人間が集団を形成するとき、どうしても生まれてしまう能力の低い人はその成功から弾き出されてしまう。

不景気時に能力の高低差が如実に雇用に顕れてしまうのが英米のアングロサクソン型です。

雇用者の給与や待遇は現状維持、あるいは優秀な人には更なるインセンティブを、
けれど無能と判断された人間には容赦なく解雇、それが英米の基本的なスタイルです。


給与は据え置き、業績によってはボーナスは下がるかもね、でもできるだけリストラはしないよ、
というのが日独の伝統的な考えでしょう。


日本はダメだ、英米みたいにもっと自由で、企業も生産性をもっと高めなければ、という意見も多々ありますが
日本のスタイルは弾き出されてしまう能力の低い人たちの雇用も守っているのだということを忘れてはなりません。

仕事にあぶれた人々がどうなってしまうかを考えると、
ライン型の資本主義社会は治安の維持にも貢献しているのは否定できない事実です。

社会主義寄りの資本主義という日本の施政は、安易に英米に倣って放棄するべきものではないはずです。




しかし一方で能力に幅のある人材を抱きかかえる企業が、無駄が多く生産性を下げているのも悩ましい事実で、
日本企業はどんどん国際競争力を落としてきている。

バッサバッサと人材を切り捨て、少数精鋭のエリート集団で生産性を爆上げしている海外企業と張り合わねばならなくなってしまった昨今、
政府は個人主義や自由主義の概念を掲げて、雇用の整理を促進しようとしている。
さもないと雇用創出の器である企業そのものが傾き、従業員共倒れの事態になってしまうから。

そして企業がバンバン倒れると、やがて行き着くのは傾国の憂き目です。


こういう時代になってしまった以上、人々は教育によって能力を高めて自衛するほかないのですが、
教育の機会格差がこのまま拡大し続けるいっぽうで修正不可能なら、
暗い未来を想像せずにはいられません。



さてここまで書いてそもそも個人主義とは? というお話になりますが、
集団よりも個人の自由と尊厳を尊重するということは本当に大切でなくしてはならない考え方です。
長い争乱の歴史の中で、人間が獲得した知覚のひとつでしょう。


私は私でいていいのだ、という自己への肯定的な考えは、生きる励みにもなるし、
個人の内面に生まれる様々な考えを殺さなくてすむ。
そしてその考えを臆することなく表現することができ、発展的なアイディアとなり、発明となり、あるいは芸術に変わって社会を動かしていくでしょう。


個人よりもコミュニティ意識が強い日本において、
横並びで行動しなければいけないことに重圧を感じている人々もいる。
そうした抑圧されていると感じている人の存在を無視してはいけないし、
そういう人々の声を拾い上げることによって、今まで成しえなかった発展的な何かが得られるかもしれません。



しかし一方で個人主義が強すぎるとどうなるかというと、
集団の長期的なビジョンが得られず、その社会(あるいは企業というような小さな集団)は短命に終わります。

私が、私が、と個人の権利を主張すれば
一方で誰かがその負担を負っていることは忘れてはなりません。

両者互いに譲らず、不満が爆発すれば、そのコミュニティは共倒れです。


個人主義の歴史は浅く、その終焉を見届けた例はないと思うのですが(あったら教えてください)
今まさに、その個人主義は爛熟期に入ろうとしているのではないかと思います。


昨今、なんだか争ってんなぁ、という光景をネット上でよく見かけます。
インターネットの恩恵にあやかって人が自由に意見を発信できるようになると、諍いも呼ぶことを実感しています。

インターネットという技術革新は、抑圧された個人を解放し、味方を見つけることも可能にさせましたが、
人間の思考を早巻きにさせて、深く考える時間も与えないまま、
机上の空論による諍いを助長させて、ひとつの概念の死を早めているのではないかと感じるのです。


こうしたネット上の諍いを傍観していると、別の側面から資本主義の死も近いのではと空想してしまうのです。


以前から金利は資本主義の残り生命を示しているバロメーターのようなもので、
日本国内でも長く続いているゼロ金利は既にこの政治概念が死に体であることを如実に顕しており、
資本主義の終焉は近いと散々叫ばれています。

個人主義の概念が暴走しかねない状況を見ても、やっぱり資本主義は終わりに近づいているのではないかと思うのです。


個人主義を利己主義に履き違えてはならない。
けれどそれを理解できない人々によって、諍いが制御できなくなってしまった場合、
激しい揺り戻しの時代が来るのではないか、と。


そうしてあれこれ空想してSFを描いています。


資本主義ならびにその派生概念である個人主義まで死を早めたのは、
情報革命であったインターネットの技術だった。
未来から振り返るとこう言われることになるのかもしれません。

ネット上の諍いから離れて傍観していると、未来世界から見た今はどう映るのだろうか? と空想せずにはいられないのです。


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ところで冒頭で紹介した論文のお話に舞い戻りますが、
改めて勉強になったことがあります。


高校の倫理でも教わることと思いますが、
資本主義を飛躍的に発達させたのは、プロテスタンティズム、カルヴァン派の「予定説」だ、
というマックス・ウェーバーの学説がある。


「予定説」はどういうものかというと、
神の救済に預かれる人間は予め決まっており、善行に努めようが悪事をはたらこうが、死後の魂の行方には生前の行いは考慮されない、という考え方のことです。

生前にどんな行いをしようが、天国に行くか地獄に行くかに関係がないのなら、
真面目に働く必要はないじゃないか。

それがどうして資本主義を発達させたんだろう? と疑問に思ったりもしたのですが、
有名な学説なので、まあそんなもんかと言葉だけ記憶にとどめていました。


しかしここが私の浅学の悪いところで、
もっと根本的なキリスト教徒の価値観を理解しなければいけなかったのですね。


「予定説」において救済されるべき人間とは、

"全能の神に救われるように予め定められた人間は、
禁欲的に天命(ドイツ語で「Beruf」だが、この単語には「職業」という意味もある)を務めて成功する人間のはずである"

という良き人間像が理想として掲げられている。

そしてこの "禁欲的" という言葉が味噌で、
仏教的な日本人の感覚で想像する禁欲とは、ただひたすらじっと耐え忍ぶ、静の行為のように思えます。


しかしキリスト教徒的な禁欲とは、
あらゆる他の事柄への欲望は抑えて、エネルギーのすべてを目標達成のために注ぎ込む、動的行為を示唆しているとのこと。

つまり自分に与えられた職務をまっとうし、ただひたすらそのためだけに働け、という美徳がキリスト教社会の中で育っていったというらしいのです。なるほど。



日本人には "自業自得" という考え方があり、自分の行いは自分に返ってくるという考えのもとでせっせと働いてきました。

働けば働くほどその見返りは自分に返ってくるという考えが、日本人に資本主義を浸透させた根本的な価値観だと私は考えているのですが、
西欧ではそもそもの出発点から価値観は違う。

これは安易に日本の社会を西欧と並列化して考えてはいけない根拠のようにも思えます。


Date: 2018/03/07(水)


Episode 5-3 Part 2 のはじまりです

さてEpisode 5-3 Part 2 のはじまりです。

またモリモリ描いて行くので応援してください!


この漫画はSF的パート、政治的パート、主人公個人の成長物語、
と3つくらいに分割できるように思うのですが、
今回のPart 2はそのうち政治的な部分のお話です。

マルセルが主体となる回になるので描くのが楽しみです。

(作者はマルセルが一番好きなので…)


ところでマルセルとアル=デステは風貌が似ていて、
色を塗らないと描き分けてる自信がありません(爆)

(アル=デステのほうが涼しい顔をしていると思うのですが)


んがしかし、いろんな肌と髪の色の人物を出せる舞台設定にしたおかげで、描き分けが微妙な絵の腕もカバーできるのです!

いや、もっと精進します…
Date: 2018/01/14(日)


新年の目標

Episode 5-3 のおまけ漫画にそこそこ好評いただけて嬉しいです。ありがとうございます。

なぜ本編じゃないの? とメッセージをくださった方がいらっしゃるのですが、
すみません、あんまり深く考えてないだけです(笑)


次のお話はガラリと展開が変わるので、
サイドストーリーとしてちょっとまとめておこうと思いました。



さて新年の目標は、漫画を描くペースをそこそこに維持しつつ、もっと絵作りを頑張る!ということです。


去年は話を進めることを急ぐあまり、ちょっと雑ちゃう?というページがチラホラあって反省しております…
ストーリーを進めつつ絵でも楽しんでもらえるよう精進します。


あと、イラストも描けるようになりたい。

イラスト描いてる時間があったら漫画の本編を進めたいと思うあまり、
ここ何年も一枚の絵にじっくり取り組むことができなくなってしまっているのが猛省するところです。




とまあ、そんなことを考えながらドS軍人ストラウスを描いていましたが、

以前、彼が夢の中に出てきたことがあり、あまりにイケメンなのでびっくりしました(笑)

自分のキャラクターと夢で逢うなんていう不思議な体験をしました。

また逢えたらいいな。
Date: 2018/01/08(月)


明けましておめでとうございます / おまけ漫画終了しました

明けましておめでとうございます。
本年も頑張って更新していきますので、読者の皆さまどうぞよろしくお願いいたします。


http://www.cristinmilites.com/comic/hat5_3_omake/hat5_3_omake.htm
さて、新年からちゃっちゃと描きまして、おまけ漫画終了です。
小作なのでそれほど手を入れず仕上げたので一部適当で申し訳ないのですが、
本編では語りきれなかったあれこれを、散文のように描き散らしました。


添付の画像のセリフは、Episode 2-3 でアイシュガルド先生が言っていたものです。

実はお気に入りのセリフなので、もう一度ここで登場させようと思いました。



現代のこの世界において、大富豪でもない持たざる庶民が選択肢を自力で勝ち取るためには、
とにもかくにも学力を積むしかない。
一方で学力さえ積んでしまえば、あとは大抵なんとかなる。

今の日本の社会は、絶対に這い上がれないと端から確定された人は存在していません。

しかしその学力を積む過程において、
生まれ持った能力差や環境の違いから優劣の差が開き始めて、
結局は人間のピラミッドができてしまう。


けれどピラミッドの上部にいるような、高い学力・能力・収入を得ている人間にしか幸福は得られないのかというと決してそうではなくて、
それなりに各人に合う生き方の選択肢を見つけられた人こそが、
充実した生活を経て人生を終えられるように考えています。


大人になって新しく人と出会うと、
いろんな生き方をしてきた様々な年齢の人と会えることになるので
へぇなるほどな、そんな生き方があるのかー と感心することがままあります。

(職場で出会う人ではそんなことはなかったのですがね。
 職場というのはだいたい自分と似たり寄ったりな経歴の人が集約されてくるので出会える人の幅も狭い。
 趣味の場等、仕事と全く異なるプライベートな場でこそ人の多様性があって面白いです)



小中高、大学を経て新卒で正社員として就職、あとはひたすら働き、結婚、マイホーム…

こういう典型的日本人の人生設計を送っている人が多い中で、
どうしてもそのレールに乗り切れない人がいる。


けれどそれに悲観しなくてもいい。
レールからはみ出た人間にもそれなりに生き方を選ぶことはできます。

それを知見の狭い若い人たちに、彼らの適正を見て選択肢を指し示してあげることが、
周囲の大人の役目なんだと私は考えています。



知見が狭く、生き方の選択肢を知らないから人生に絶望してしまう。

残念なことに、そういう若い人たちの親や周囲の大人もまた知見が狭いことが多いので、
延々負のスパイラルが続いてしまう。


行き詰って苦しい思いをしている人たちに、
こういう生き方もあるのだ、
あるいはこんな困難に出遭ったとき、私はこうやって克服した、と
何かしらの手段で伝えることが表現者の役目でしょうか。


この漫画を描き始めて今年で14年目になります。

私が毎日せっせと漫画を描くことで、誰かの楽しみになっていればとても嬉しいですし、
特に若い人たちに、あれこれ考える契機にしてもらえれば今生の喜びです。
それがBBAになってしまった私の、創作上の仕事かなと思います。



… とはいえ、そんな説教臭いことはまるっとスルーしてもらって、
単なる物語として楽しんでいただいても嬉しいです。

美男美女のドキドキストーリーを楽しんでもらえるように、
さあ今年も頑張ります!




Date: 2018/01/04(木)


Episode 5-3 Part 1 おまけ漫画 更新しています

Episode 5-3 Part 1のおまけ漫画を先日から更新しています。

http://www.cristinmilites.com/comic/hat5_3_omake/hat5_3_omake.htm


いつもおまけ漫画はアホなノリで描いていますが、
今回は本編に収まりきらなかったエピソードを描き足しておこうと、ちゃんと真面目に漫画を描いてます(笑)


特にダメ男のせいで幼稚園の先生が気の毒だったので、
彼女をフォローするためというのがおまけ漫画のそもそもの目的でした。


もう少し続きますが、年内の更新はこれで最後です。


本年もフルスピードで漫画描いた年だったなぁ… と振り返ってそう思います。

いやもうほんとに、ちんたらしてたら自分が死ぬまでに完成させられない。
描けるときに気合入れて全力で描かないと大長編漫画なんて完成させられないんだよ、とそう常々思っていて
何かに追われるような気持ちでいつも尻に火をつけ頑張っています。


これまでに何ページ描いたんだろう、とふと振り返ってカウントするのが結構な楽しみで、
とりあえず今のところ、本編は1530ページ

年度別の制作枚数は、

2016年 507ページ
2017年 505ページ

とほとんどここ2年で描いてます(笑)
描き始めたのはもう13年も前になるのに。



2016年は腱鞘炎ですごく苦しんだ年なのに結構描いたんだなぁ、と驚きます。
おまけ漫画等の副産物を足してもかなりの量。

今年は腱鞘炎ギリギリ手前のところでセーブするようにしていたので、
去年のペースを越えられなかったのかなと分析しております。


本当はEpisode 5-3を年内に完結させる目標だったのですが、
描かねばならないシーンが増えて増えて、とても無理だったので分割させました。


年始からEpisode 5-3のPart 2を始められるように頑張ります!

かっこいい中年男たちをたくさん描けるように頑張りますわ!



というわけで、年内にまたこの日記を更新できるのかどうかわかりませんのでここでご挨拶を。

いつも応援してくださる読者の皆様、どうもありがとうございます。
本年も励みとなり、支えていただきました。

よいお年をお迎えください。


Date: 2017/12/29(金)


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