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2021年08月13日の記事は以下のとおりです。

パンデミックがもたらす分断と、時代を反映した創作の意義と

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17年もこの漫画を描き続けていると、作中で扱うネタが現実味を帯びてくることもあります。


シリア内線から始まる難民問題が大きく報じられていた頃、漫画の中でも隣国からやってきた歓迎されざる難民とそれに伴う悶着やら問題やらを描いていたので、
「予言していたのか!?」と驚きのコメントをいただくこともありました。

いやいや、私にそんな能力があるなら、こんな日陰でモソモソ地味な漫画を描いているわけがありません。

本作を描き出した2004年当初は、アフリカ諸国の難民問題をイメージして描いていただけです。

インターネットとSNSの急速な普及により、中東・ヨーロッパの難民問題で人々の関心が上書きされているだけで、20世紀以降、世界は未だほうぼうの難民問題を解決できずにいるままなのです。

日々、新鮮な話題で人々の関心が上書きされ続け、特定のトピックの記憶が一時空白になる。

我々日本人にとっては、遠い外国の対岸の火事ではなおさらのことです。

難民問題というトピックも、アフリカ諸国の難民たちの記憶が途切れ、次にその話題が噴出したときには舞台は中東に移っていた。

そしてそのとき、たまたま私がこんな漫画を描いていただけ。


これという期限を決めず、粛々と表現を続けていたトピック・物事に、たまたまその時の人々の注目が集まると、時事の合致性に驚きや神秘性まで見出されてしまうことがあります。

しかし私が「2時20分」と指定しても、時計の針は1日に2回、必ずその時を指し示すように、
コンスタントに継続していたものが偶然人々の注目を浴びたとしても、それは単に無機的に回り続ける時計の針が指したにすぎないのです。

それをここぞとばかりに「これは予言だ」と自らを仰々しく吹聴するような人がいたら、それは詐欺師なので注意しましょう。

 


しかし私自身もまさか世界がこんな目に遭うとは… と今更ながら不条理に暗澹とした気持ちになるのは新型コロナウイルスによるパンデミックです。

パンデミックが始まった当初の2020年初春頃には、夏にはその熱でウイルスも沈静化して収まるだろうという根拠のない楽観がありました。

しかしどうも普通の風邪ではなさそうだ、と楽観は立ち消え、夏の灼熱も救いにはならず、解決は来年に持ち越し、と寂しい年末年始を過ごしました。

2021年になってワクチンの接種が始まっても、ウイルスの変異との戦いは依然収まらず、先の見えない混迷にいよいよ人々は疲れ果てています。

コロナさえなければ… と何度思ったかわかりません。

 

未だ出口が見つからないとはいえ、人々は未知のウイルスに対し学び、備えを整えてきました。社会は意外とたくましく廻るものです。

しかし昨年2020年春頃は、人々は食料や日用品の買い占めに走り、マスクがない、布やゴム紐さえない騒乱の中にありました。

私にとっては日本の社会が混乱で窮乏する初めての経験でした。


昨年、Episode 7 の執筆を一旦止めて外伝の漫画制作にとりかかったのは、このヒステリー状態の中でEpisode 7 の続きを描くことが空恐ろしく感じられたからというのが理由のひとつでもあります。

(元々読み切りの本を作りたかったのが大きいのですが)


本作は、ワシントン・ウイルスという脅威のウイルスがひとつの村を蹂躙するシーンから始まります。

蹂躙された村の中でワシントン・ウイルスに感染せず生き残った幼女ハトシェプストを発見し、彼女がなに者なのかという疑問から物語を展開してゆく構成を採っています。

そのワシントン・ウイルスの誕生の経緯を追うEpisode 7 の執筆のタイミングと、今のパンデミックが重なったのも、たまたま時計の針が定刻を指しただけにすぎません。

何せ未知なるウイルスなんて、SFでは使い尽くされて擦り切れたようなネタ。

そして本作は17年も前から粛々と描いているだけ。

それでも予定しているストーリーの進行の内容が、世間に跋扈する噂とリンクするような点も多かったため、しばらく寝かせて別のテーマの作品制作に移行したほうがいいだろうと判断しました。

結果、それでよかったと思います。

 

読み切り外伝という今までと全く異なる毛色の制作をしつつ、私生活で引越しに忙しくしていたりして、パンデミックの経過を距離を置いて見ることができました。

おかげで今のEpisode 7-2 もリアリティを注入して描けるようになったと思います。

昨年はじめまでの予定より、随分尺が伸びて描くのに時間がかかってしまっていますが…。

 

新型コロナウイルスによるパンデミックが、世界に何をもたらしたのか簡潔な総評を出すまでにはもっと時間がかかることでしょう。

しかし今現在の段階でひとつ確実に言えるのは、あらゆる面で分断が生じ始めているということです。


物事の議論をはかるときには必ず賛成派と反対派の集合と対立が起こるもので、
日本国内だけにまずは目を向けても、自粛の賛成・反対、ワクチン接種の賛成・反対、つい最近までオリンピック開催の賛成・反対、と事あるごとに両者の意見が時に罵詈雑言を伴って飛び交っています。


今のところ言葉による応戦だけで済んでいるのが、日本人のおとなしい気質と、ギリギリまだ持ちこたえている社会の堅牢さのおかげと思っているのですが、
海外ともなればそれが暴動だの略奪だの、フィジカルな暴力に発展してしてしまいがちです。

至るところで怒り散らして暴れている人々の報道を見るたびに、諸外国のパンデミックによるダメージの深刻さがうかがえ、
また国内に流入する人の流れの事情も日本と大きく異なるので、いよいよ人間と人間の分断が生まれてきていると感じざるを得ません。


今怒っているのは、生活苦にあえいでいる人々です。

またパンデミックがよその国から持ち込まれたものだと、人の流入を遮断し、自分たちの国を守りたい人々です。


そういう人々と、利害関係が対立する者たちとの間で、実に様々な面から分断が生じはじめています。


その亀裂の大元を探ると、見えてくるのはパンデミックよりもグローバル化の負の側面なのだと考えています。

 


今回のパンデミックはグローバル化がもたらした負の一面がせり上がってきたものなのでしょう。

グローバル化は国境を易々と越える人の往来を可能にしましたが、一方でその素地がなければここまでパンデミックは広がりませんでした。

グローバル化は貧富の格差を押し広げるだけだという批判はかつてからありましたが、まさにその通りの結論を迎えつつあります。

こと日本に関して言えば、安い人件費の諸外国とコスト競争せざるを得ず、労働者の給与が上がるどころか据え置き、あるいは下降していると叫ばれて久しい。

ましてそのコスト競争相手が、人権を無視して成り立つような低価格を売りにしている国だともう勝ち目はありません。


こんな泥沼の価格競争と消耗戦の労働から脱却するためには、理系分野の研究と特許取得の方面に国を舵取りしてゆくしかない。

Episode 5-3 のPart 2で私がマルセルに言わせた言葉は、割と真剣に私が考えていることそのままです。

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(Episode 5-3 Part 2 29ページより)

 

グローバル化がもたらした貧富の格差が、現在のパンデミックにおいて貧しい者と富める者の分断を生み、
人の往来の簡便化が逆に排他的なナショナリズムに発展しつつあります。


昨今、人種差別廃絶の論説が多く飛び交っていますが、その論説の裏ではそれ以上の数の差別が噴出しているからなのだと想像に易い。

私もかつてのイギリス留学生活や海外を旅する中で、人種差別で嫌な思いをしなかったかというと、100パーセントなかったとは言えません。

(それでも屈辱的で不愉快な思いをほとんどせずに済んだのは、私が単に鈍感なのか、無害な日本人の若い娘だったからでしょう)


私が留学時代を過ごした寛容で明るい空気のあった2000年代前半でさえ完全に差別はなかったとは言い切れない中で、
今は生死に関わるレベルの、おぞましい排他意識が怒りを食いながら噴出しているのだと感じています。


それは何より、パンデミックがよそ者によってもたらされた害悪そのものだからでしょう。


怒りを糧にするナショナリズムが、更に膨張すると戦争に発展する。

これはかつてのあった世界大戦の根本的な構造そのままです。

早くパンデミックが収束してほしい。このまま人々が疲弊し続けると、待っているのは暴力と暗い未来である。そういう暗澹とした気持ちに潰れそうになります。

 

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そうした人間と人間の分断の象徴として、漫画の中で壁の建造の絵を描こうと思ったのは、よいアイディアだったと思います。

Episode 3 あたりに登場する難民保護地区には既に周囲を壁で囲われて、人員の入出を徹底的に管理され、警察官のような人々が警備に配属されていました。

パンデミックを経験しなければ、壁の建造あたりの描写はサラッと言葉だけで流していたかもしれません。

分断の象徴という意識もありませんでした。


時勢を経験しながら漫画に反映させられることに喜びを感じると言えば奇妙なことかもしれませんが、
そこに創作の意義を見出した気持ちでもあります。


これまで私は自分の漫画は所詮作り話、荒唐無稽な絵空事という卑下する意識が多少ありました。

はぁ~ もう役に立たない絵空事のためになんでこんな毎日毎日苦労して描いているんだろう、
とふと冷静に振り返ったとき、
かけた労力とその見返りのあまりのつり合いのなさにバカバカしくなって空しくなることがあります。

漫画を描くために犠牲にしたもの、取り返しのつかない時間の重さに、自分の人生の選択は果たしてこれで良かったのかと苦しくて沈没してしまいそうなこともままあります。


自分が作っているものの意義に自分で懐疑的であったからだと思います。


しかし時勢を反映させながら創作するという行為は、自分がこの時代に生きた記録であり、無為に過ごすよりよほど能動的に生きられている気がしました。

きっと自分が年老いたときにあの時描いて良かったと思える日が来るのでしょう。

また、描いた漫画をネット上に公開するということは、大河に原稿を放流するようなもので、私が死んだ後でも誰かが拾ってくれるかもしれない。

(自分のサイトはサーバーの契約期間が過ぎたら消滅しますが、少なくとも投稿サイトに載せているものは、突然死してもそのままだからねぇ)

そう考えると、このパンデミックの時代の記憶を創作物として残すことの意義を前向きに考えることができるのです。

事実を羅列したニュース記事ではなく、作家が媒介した時代の記憶として創作物がある。

媒介する作家には一人一人に個性があり歴史があり、異なる境遇の持ち主で、結果ひとつとして同じ作品はない。

それらは後世から振り返ったときに、多角的に時代を捉える助けになるでしょう。


なぜ人はものを作りたがるのか、書き、描き残したがるのか、人間の創造意欲の根源とは割と謎だなと思うのですが、
ひとつに無意識に他者・次世代への記憶の継承を欲して働いているのかもしれません。

また我々には別の誰かが残したものを知りたいという好奇心も持ち合わせています。

他人が作った絵空事の小説や漫画でも読みたいという好奇心がよく考えたら謎なわけで、
詰まるところ、誰かに伝えたいという記憶の継承欲と、それを知りたいという好奇心がループしているのだろうなと思います。

そう考えると、創作すること、それを公開することへの意義も迷わずに済みそうです。

 

この時代の行く末がどうなるのか、見続けながら漫画に反映させていきたい。

そのためにしっかり生きて真面目に粛々と原稿を描き続けよう、そういう決心も固くなりました。

私も年々体力が落ちてきて、毎日腰が痛い。原稿描くのもしんどい。

それでも頑張っていこうと思います。

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